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フェアリー フルマー(Fairey Fulmar。フルマカモメの意)は、イギリス、フェアリー社製の単発レシプロ複座艦上戦闘機。イギリス海軍初の本格的単葉戦闘機であり、当時旧式化が著しく複葉機ばかりであったイギリス海軍戦闘機の後継機として開発、生産された。当初存在を極秘にして開発が進められ、1940年議会の追求で明るみに出たことで知られる。 == 経歴 == 1930年代も半ばになると、世界に先駆けて空母を建造、開発していたにもかかわらず、イギリス海軍の航空機事情はおよそ世界水準とは言いがたい状況となっていた。空の主役である戦闘機任務にはいまだニムロッドやオスプレイといった複葉機が現役であった。そのため、1938年にイギリスは仕様書O.8/38に基づいた、複葉機に変わる単葉戦闘機の配備を決めた。フェアリー社は開発中であったバトル軽爆撃機を基にした仕様書P.4/34軽爆撃機を仕様書O.8/38に基づき複座戦闘機として改修した機体(この際にはP.4/34試作2号機が改修された)をイギリス海軍に提案し、海軍はそれを受け入れた。1938年3月、海軍は127機を正式に発注した。武装は、当時の英空軍が採用していた小口径8挺に準じており、7.7mm機関銃8挺としている。 イギリス海軍が複座戦闘機にこだわった理由は、目印も何も無い海上飛行においては航法担当が機体を適切に誘導することが空母に帰艦するのに必要であったと考えていたからと言われる。だが、実際のところは日本、アメリカが証明しているように単座であっても問題なく帰艦できた。 フルマーは複座のおかげで重量が大きいにもかかわらず、重量の割にエンジンが貧弱であった。これはよく、ほぼ同馬力のエンジンを装備していたハリケーンと比較される。ハリケーンの自重2,500kg、全備重量3,300kgに対し、フルマーは自重3,960kgと1.6倍近くも重く、全備重量は4,850kgとなっていた。そのため、速度もMk. Iでは400km/hを越えることができず、戦闘機としての性能は高くないものとなってしまった。 フルマーは1940年1月4日に初飛行(元が改修機であるため、これが生産型となる)したが、この時期まで生産がずれ込んだのは、フェアリ社の新工場完成を待ったためであるとされる。1940年6月には第806飛行隊に配備され、初期生産であるMk.I型127機が納入された。その後1941年1月20日にはエンジンをマーリンXXX型1,260hpに換装し、最大速度が438km/hに上昇したMk.II型が初飛行、その後1942年になってから生産、配備された。 しかし、複座とその重量から来る能力不足はいかんともしがたく、早くも1942年から空軍が開発したスーパーマリン スピットファイアの海軍版であるシーファイア、同じくホーカー ハリケーンの海軍版であるシーハリケーン、アメリカから供与されたグラマン マートレットといった単座戦闘機、そして、フェアリー社がフルマーの後継として開発した複座戦闘機フェアリー ファイアフライ等と交換され、1943年には生産が終了、同年にはほぼ前線から退いた。 フルマーは1940年1月から1943年3月まで生産され、生産数はMk.I型250機とMk.II型350機および1941年1月に飛行した試作1機の合計601機とする説、606機という説もある。Mk.Iの生産数は127機は初期発注、250機はミュンヘン会談の原因となったチェコスロヴァキアに対するズデーテン地方割譲要求により戦争の可能性が高まった1938年9月におこなわれた追加発注である。一部450とする資料があるがこれは追加発注を入れていないと考えられる上、初期発注とMkIIのみでも477機となり数が合わない。 また、Mk.II型の一部から夜間戦闘機としてMk.IVレーダーを搭載した型が存在するほか、固定武装以外に後部座席に7.7mm機銃を装備し、計9挺としている機体もあった。このほかに、水上戦闘機とするために778航空隊に渡されたものが存在するが、結局水上機化は行われなかった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「フェアリー フルマー」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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